少し前に「ほめ言葉は心の栄養」というミニ講座をしました。
褒め言葉でなくても、相手が目の前にいることを認める行為や言葉は
相手の存在を認める事、目が合うだけでも、あなたが目の前にいることを認めていることになる。
誰かが自分を認めている行為は人にとって何よりも大切なことです。
例えば、”いじめ”でも、とても苦しい行為はやはり無視です。
目の前に居るのに居ないようにされる行為はかなりしんどいです。
インターネットの向こう側に見知らぬ誰かしら話す人や、何らかのコミュニケーションがあれば、それは自分の存在を認めてもらっている。
そうではなくて
いじめではないけれど、一日中誰からも声をかけられなかったり、
目も合わなかったり、一人で過ごすことも、
誰からも存在を認めてもらってない事になります。
忙しいときは何も思わないかもしれないが、
ふと、一人の寂しさが沸き起こった時に、
人はその心に何を埋めるのだろう。
食べ物だろうか、
買い物だろうか、
ギャンブル、
アルコール、薬物?
認知症患者さんの治療療法に患者の目を瞳を見る、目を見て覗き込むように話しかける、
優しく触る、さする、笑顔で話しかける、優しく今の状況を話しかけ続ける・・・こういう接し方は認知症の症状を和らげるそうです。
この行為一つ一つ、認知症患者さんが人として目の前にいる、存在している、あなたは大事にされる存在なんですよと、患者さんの心へ伝えている行為です。
誰かに自分の存在を認めてもらう行為は心の栄養になるのです。
誰にでも気持ちの奥に人から大事にされたいという欲求はあるのですから。